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迷えるパチンカーへの処方箋集 MPS

月刊カオスブレイク 「アンダー・ザ・リアル・カオス」 特別コンテンツ



月刊カオスブレイク「アンダー・ザ・リアル・カオス」に掲載中の悩めるパチンコユーザーのみなさんへのメッセージ集です。


一般常識を含むギャンブルへの心構えやリスク管理から、「対ホルコン技術論」としての専門的な内容まで、


著者である私とカオスのみなさんの主観的な表現を交えてメッセージを発信しています。


パチンコやスロットで悩み、迷えるみなさんへ、何らかのお役に立てれば幸いです。




※ 掲載記事につきましては、「月刊カオス」のバックナンバーより、ランダムで選択をしています。

Q.結局、強そうな台だけを狙っていれば勝てるものですか?
Q.稼働率が低くても勝てますか?
Q.うんこホールのような気がするのですが、それでも何とかなりますか?
Q.自分には博才がないと思うのですが、それでも勝てるようになりますか?
Q.近所にまともなホールがないのですけど、そうした場合はどうしたらよいですか?
Q.4円パチンコなら一台に2000円までしか打てないのです。これでよいですか?
Q.ある店員がいるときは勝てないのですが、何か関係がありますか?
Q.半分はホルコンで半分は釘の調整だと思います。間違っていますか?
Q.常連のおじさんがよく勝っているのを見ます。これはホルコン攻略ですか?
Q.自分が止めたら当たることが多くて死にたいです。
Q.負けるときにはいくらでも負けそうですが、勝つときには上限がありそうです。
Q. 自分は精神的に強くなれると思いますか?
Q. パチンコに行ったら打たないと気が済みません。
Q. 1円パチンコと4円パチンコに混ぜこぜで通っていると金銭感覚がおかしくなります。
Q. 私は待てない男、待てない女です。
Q. 毎月、一定の金額までは勝てるのですが、それから下り坂になります。
Q. コウさん、助けて下さい!
Q. 自分は、他のカオスのみなさんと比べて頭が悪いと思うのです。
Q. 一日パチンコして死ぬほどくたびれるのですが、次の日の朝になるとケロっと回復してパチンコに通う自分は何かの病気ですか?
Q. パチンコで負けることは自分の失敗だとはわかるのですが、別にそれが悪いことだという認識がないのです。悪いことなのですか?
Q. パチンコに行くたびに腹が立ちます。自分には向いていないのでしょうか?
Q. パチンコで負ける夢を見たときに、次のパチンコは高確率で負けます。霊感ですか?
Q. パチンコホールに長くいたら、その日の夜に金縛りにあいます。やばいですか?
Q. 私がパチンコで負けるのはギャンブル浮遊霊のせいですか?
Q. 最近、パチンコで勝っても負けて虚しさがあります。引退でしょうか?
Q.カオスが提唱をする「平均値」ということが、どうもよくわからないのですが?
Q.私はパチンコをしたほうがよいのですか?

Q.うちのホールはうんこホールのようでもあるし、出ているときにはそれなりに出ています。これってどうなのでしょうか?
Q.カオスでマジメに努力をしたら勝てるようになりますか?
Q.カオスのみなさんで、一度はお話をしてみたい人がいらっしゃるのですが、私の性格でなかなかコンタクトができません。何かよい方法はないでしょうか?
Q.自分が負ける原因を知りたいのですが?
Q.けっきょく、簡単に勝てるようになる攻略法ってあるのですか?
Q.コウさんは、パチンコ業界の手先ではないのですか?
Q.夏場になると、強烈に足が臭いおじさんがいて悩まされます。
Q.激アツリーチがきたら心臓がバクバクして我を忘れます。たぶん、これが真剣でないと言われるところなのかもしれません。そうですよね?
Q.「平均換金金額」を本気で意識するようになってから、たしかに焦りや暴走をすることが減りました。他のみなさんにも実践をして欲しいです。



.結局、強そうな台だけを狙っていれば勝てるものですか?

A.はい。悪くはないですね。現在進行形で強い台を狙えるのであれば、たぶん、それだけで勝てるでしょう。しかし、過去に強かった台や、2~3時間後に強くなるような台を先走って狙っていても期待できないことがありますので、自分が打つタイミングで強くなる台を絞り込めるようになるとよいです。

なかなか自分の都合でシマの当たりの流れや活性化を変えることはできませんので、自分がその流れにシンクロをするということが大切です。ですから、自己中心的な発想は禁物ですね。当たり前の話ですけど、魚のいない釣堀で竿を立てていくら待っても魚は釣れませんので、魚がいるところを狙うしかないです。そうした流れに自分を合わせる、ということですね。


.稼働率が低くても勝てますか?

A.え~ ホール全体で平均稼働率=30%以下ではきついと思いますよ。ホール全体というのがポイントですね。例えば、あるシマでは新台が入ったので稼働率が80%くらいはあるが、他の中古台のシマでは稼動率が10%くらいしかない・・・ こうなると平均値を考えるのがめんどうになって、その件について思考停止になることがあります。

 
しかし、段階的にでも集計はホール全体で行われるという点と、隣のシマの状況が自分の打つ予定のシマに影響をしますので、少なくてもその二点において、結果的に当たることを制御されたり、長い時間、待たされたりと不利になることが多いでしょう。ですから、そうした自分で認知ができにくい要素であっても、できるだけフェアな状況で勝負をされたほうがよいかと思いますね。平均的に稼働率が低いホールに通われるみなさんは・・・ 本当に“損”をしています。


.うんこホールのような気がするのですが、それでも何とかなりますか?

A.魔界ホールくらいであれば技術の進歩で何とか戦えますけど、“超絶!魔界ホール”になると無理だと思いますね。もし、出玉情報でなくて、差玉情報の公開をしているホールであれば、その集計によって還元率がわかります。

 普通、還元率が低いホールはダイコク系のシステムを導入していてもサイトセブンにも情報の開示をしませんので、情報の公開をしている時点で悪いホールではないことが多いでしょう。公開もできないのは・・・ 臭いものには蓋をしたいという心理かもですね。

 ただ、大抵の場合は、余程の変則ホールか、データカウンターもないようなホールでなければ、“負ける金額”を減らせるという意味で進歩ができると思います。ただ、これも平均値なのですが、普通に考えて、10回くらいパチンコホールに通って1回も勝てないようであれば、通うべき価値のないパチンコホールになりますね。

 ちなみに、他の常連のおじさんやおばさんがどのような状況になっているのかも参考にできますわね。つまり、初めて来たようなお客さんばかりが連チャンをして、常連のみなさんが泣きかぶっているようなことが多ければ、そのホールは何か怪しいですので避けるべきですね。



.自分には博才がないと思うのですが、それでも勝てるようになりますか?


A.難しいご質問です。“天佑”や“才能”の要素については数値などでは測れませんからね。ただ、私が長年とカオスのみなさんを見ていて思うことは、やはり、“勘”がよい人とそうでない・・・ 表現は申し訳ないですが、“鈍い人”ですね。その“差”がどうしてもあります。何の物事でもそうですけど、飲み込みが早い人とそうでない人がいたときに、短期間的に見たときにはウサギとカメの物語のようにも思えることもあります。


 
ただ、パチンコの場合は、そう、“自制心”ですね。これが勝ち負けの8割くらいに影響を与えていると思います。例えば、Aさんは実力や自信のなさから3000円だけしか使わないと決めて頑張ったけれど、1台も当てられなくて坊主だったと、一方で、Bさんは実力的には10台くらいは当てることができて、実際に10台くらいは当てたが投資もかさんで結果的に5000円の負けになったと・・・ さて、どちらに実力があるのかと考えたときに同じ基準では計りにくいものがあります。

 それを、勝ち負けで考えるならば、Aさんのほうが被害も少ないことから優れているようにも思えますし、当てた台数で考えるなら、10台も当てることができるBさんのほうが優れているようにも思えますね。ただ、パチンコはオリンピックなどの競技ではありませんから、参加をすることに意義があるとかではなくて、どちらかと言えば“結果論”の優先をしたほうがよいかとも考えるのですね。勝ってなんぼの世界とでも表現をしましょうか。そうした空気があるのは確かです。

 私、個人的には体当たり主義に近いところがありますので、当てて当てて当てまくって完全現場主義のような訓練を積んできました。12時間/1日の稼動などは普通にありました。そうやって、火の中や水の中を通って泣きながらでも前に進んできました。ただ、今思うことは、やはり、無駄な部分もあったということです。場数を踏むことによって、その無駄な部分がシェイプアップをされてきたのかもしれませんが、無駄な動き、無駄な投資、無駄な時間・・・ 人並み以上にそれがあったと思います。

 ですから、最初から無駄なことをしなくて済むようなカリキュラムでもあって、単純にそれに従っていれば技術や技能が身に付くのなら、それはそれでよいかとも思います。それでも、個人的には、安全性は高いが養殖的なホルコンマスターになるよりも、リスキーで刺激のある野生的なホルコンマスターのほうがよいですね。

 どちらにしても、負けが続いて破産をするようなことになればパチンコどころではありませんので、できればホルコン入門くらいの時期から、“自分を守る術”について徹底的にマスターをされたほうがよいかと思います。今回のテーマは“才能”の話でしたけど、パチンコにおいては、“攻める才能”と“守る才能”があるいうことをみなさんに知って頂きたいですね。攻めるのは上手だけれども守ることが苦手・・・ 逆もあります。普通、どちらかに得意なことが多いでしょうから、自分の才能を伸ばすならどちらを重視したほうがよいか、という観点を大切にして頂きたいです。



.近所にまともなホールがないのですけど、そうした場合はどうしたらよいですか?


A.はい。本当にまともで勝てそうなホールが通える距離にない場合は、引越しをされるかパチンコを辞めるべきだと思います。負け続けるパチンコで失うものは金と時間ばかりではありません。


.4円パチンコなら一台に2000円までしか打てないのです。これでよいですか?


A.平均値で考えます。新規でシマに入ってきた他のお客さんが、空き台に座って打ちはじめたときにどのくらいの金額までで当たることが多いか、というリサーチが必要です。同じホールやシマでも時間帯や曜日、その他のホールの都合などで状況も変わりますので、きちんと固定をされた金額にはなりにくいかもしれませんが、普通に考えて、当たるなら2000円くらいまでかな、3000円くらいまでかな、4000円くらいまでかな・・・ という平均値ですね。それを見て下さい。

 ただ、このテキストでも何度か書いてきましたように、“自制心”を強くするためには、自分で一定の金額を設定し、それをルールとして守ることも大切ではあります。精神力の鍛錬にもなるかもしれません。そして、例外があっても原則として自分のルールを貫き通すか、ホールやシマの状況に対して柔軟性を持って対応をするか、それを日替わりなどで使い分けてみるか・・・ 最終的な目的が、パチンコで勝って帰ることであれば、様々な考え方や方法論を試してみて、最も効果が高かった内容を基本軸にしたらよいですね。



.ある店員がいるときは勝てないのですが、何か関係がありますか?


 A.ありそうで・・・ “ない”と言ったほうがよいでしょうねぇ。私も思うことがあります。何かの宗教書を200冊くらい読みますと、何となくでも相手が考えていることがわかるようになるようで、好意的な人、敵意がある人、見せかけだけ好意がある人・・・ わかるようになります。


 そうしたときに、私に敵意を持っている店員さんなどがウロチョロとしていると、どうにも目障りでしょうがなくて集中力を乱される、ということはあります。ほら、玉詰まりのときに店員さんを呼んで修復をしてもらいますけど、けっこう待たされても、おじぎ無し、お詫び無し、玉込め無しの3点セットを頂いたときには気分が悪くなります。


 最悪なのは、お詫びとしてスタートチャッカーに玉を入れてくれるふりだけをして、あの玉が流れて消えていく下穴に捨てて帰るアホ店員もいます。私が借りた上皿の玉をつまんで捨てるのですよ。何度も頭をドツこうかなと思いましたけどね。そうしたことで、パチンコでイライラは禁物ですので、わざとイラっとすることをして妨害をしたい潜在意識が相手にあるのかもしれません。


 いや、もう本当に、店員さんが何を“考えている”のかがわかると辛いものがあります。あまりにその排他的な念波を受けるときには帰るようにしています。そういう意味では、自分の勝ち負けに多少の影響を与えていると思いますね。ただ、人のせいにしていてもしょうがないですので、道端で犬のうんこを踏んだくらいの感覚で気にしないようにしたほうがよいでしょう。


.半分はホルコンで半分は釘の調整だと思います。間違っていますか?


A.釘の影響はありますよ。例えば、1円パチンコなどをしていると、200円(200発)で1回転もしないことがありますけど、呆れて気が遠くなります。それと当たったときの右打ち機種のスルーの最悪さですね。閉口します。当たるとわかっていても、釘が悪すぎたら打ちたくなくなりますわね。

ただ、控えめに書きますけど、“当たる”という行為については、ホルコンなどからの指示でしょう。正確には、内部的に確変状態に移行をさせるのだと推測をしています。そして、どのようなリーチにするか、いつ当たらせるかについては確率の要素もあるかと思います。

 それでも、確変中に300回転くらい回してもなかなか当たらないで、隣の台などが当たり終わった瞬間に当たることがありますので、“いつ当たらせるか”ということについては、やや強力な介入をしていると思いますね。このテキストでも書きましたように、“当たり台の台数の制限の要素”です。

 パチンコやスロットが、“完全確率”か“ホルコン制御”かについては、実際に様々なホールで観察をされたらよいですね。パチンコ歴一年くらいの20歳くらいの女の子でもそれに気が付くことがあるくらいですから、何十年もパチンコをされているみなさんにわからないはずは・・・ “ない”と信じたいです。



.常連のおじさんがよく勝っているのを見ます。これはホルコン攻略ですか?


A.あはは。私がそのおじさんの動きを見たらわかります。まぁ、そうですねぇ・・・ どうなんでしょうねぇ・・・ (クロコーチ風に)

 大雑把な考え方ですけど、常連のみなさんって、けっこう“勘”がよいのですね。常連ですから。いつも見ているので・・・ 例えば、平均値をはみ出したような台を避けたり、うんこ台を避けたり、人気のない出ない中古台を避けたり、いろいろと進歩をしているのですよ。

 常連のみなさんがホールシステムを解明していないという前提で考えますけど、それでも荒削りなところがありはしても野性的な感覚が鋭くなっているのですね。獲物を追跡するチーターのような感覚でしょう。


 ただ、勝てば官軍ではないですけど、“当たれば官軍”で、その前後の“事後確認の作業”や“当たりやハズレについての原因の追及”が弱いというのがもったいないですわね。
それが、いつまでも常連種族で終わってしまう要因になるのでしょう。


.自分が止めたら当たることが多くて死にたいです。


A.当たり前の話からしますと、打つ台数が多くなれば、それに比例をするように“カマの被害”も増えますわね。例えば、その日に打った台数が最大で2台の人は、カマの被害も最大で2台ですが、ウロチョロとする癖がある人で10台くらいを打ったら、カマの被害が最大で10台になります。


 とりあえず、カマをされるのが死ぬほど嫌だと思われるのであれば、自分が打つ台数を半分くらいに減らしましょう。そうするとカマの被害も半分以下になりますので、精神的なダメージも和らぐと思います。そもそも、パチンコホールの現場で“悔しい”と思っている時点で“負け”なのですよ。賛否のある考え方かもしれませんけど、精神的な傾向性としては“負け”ですから、後はそれが表面化をしてくるだけです。

 悔しさをバネにして・・・ というような美談にコーティングをしたくもなりますけどね。パチンコホールでの悔しさという感情は、ほとんどの場合、“嫉妬の要素”を含むのです。『嫉妬は毒』です。100%間違いありません。嫉妬をするということは、その対象について『排他的』になっていることが圧倒的に多いのです。

 ですから、嫉妬感が強いときには潜在意識でも無意識でもよいですけど、お客さんに対してだけではなくて、当たった台に対しても排他的になっていることがあるのです。そう、パチンコ台が当たるということに対してまでネガティブになることがあるのです。パチンコが当たることを否定し、排他的になっていたらどうにもなりません。その“毒の因子”を自分で育てて自爆をするタイプの人がある、ということですね。

 ここが非常に難しいところですけど、例えば、似たような概念で、“豊かさ”や“富”を否定していたらいつまでも豊かにもならないし、発展もしないのですね。ですから、カマの被害という内容でしたけど、「あの台はあのタイミングや状況で当たることになったのか。次からは自分もできるだけ同じタイミングや状況で狙うようにしよう。」・・・ というような考え方して、パチンコ台が当たるということに対して肯定的になるべきなのです。

 人間の潜在意識や無意識からの影響は大きいものです。表面的にはバリバリと勝ちたいと思っていても、本質的にはそれを否定していることもあるのですね。とくに、清貧的な傾向性や自虐的な傾向性、共産主義のような考え方をしていると、豊かさそのものや成功をした対象に嫉妬をすることがあります。


 豊かさそのものや成功をした対象に嫉妬をすることで否定をしていたら自分はそうならないのです。
金持ちを嫌っていたら裕福にはならないし、成功をした人を嫌っていたら成功者にはなれません。金持ちは悪い人ばかりだと思うことも、成功をした人が悪い人ばかりだと思うことも自由ですけど、すべてがそうではないわけですので、やはり、“正しく”という前提でよいですから、金持ちや成功者を肯定し、祝福し、学び、自分もそうなろうと考えることが大切であると思うのです。


.負けるときにはいくらでも負けそうですが、勝つときの金額には上限がありそうです。


A.これも平均値の要素ですね。パチンコホールとしては、負けるときにはいくらでも負けてもらってよいわけですので、うんこ台を打てば打つほどいくらでも負けることができます。例えば、当たらない台だけを上手に絞り込んでフル回転をさせるならば、ホールの営業時間は様々でしょうけど、一日で20~25万円くらいは負けることができると思います。ですから、どこのホールでも最悪ではそのくらいまで負けることこもありえる、という話ですね。

 では、逆に、勝てるときの金額です。この話は・・・ かなりホールの“差”が出ますね。例えば、A店という優良店のパチンコホールと、B店という泣く子も黙るようなうんこぶりぶり魔界ホールがあったときに、同じ日の、同じ新台の、同じ機種のシマで最高に出た台の比較をしたらよいですし、シマ全体での出玉の平均を比較してもよいですね。

 そうしたら、例えば、A店では最高出玉が70000発で、B店での最高出玉が20000発だった・・・ ということもありえます。同じ日に、同じ新台で、同じ機種で、シマで最も放出をした台を狙って出したのに、違うパチンコホールというだけで、50000発の差が生まれたということが、そう、普通にあるのですね。

 スロットでもそうです。例えば、夕方の6時くらいからノコノコと出かけて自分なりに頑張ったが、閉店まででシマで最高に出た台が800枚だったというホールもあれば、夜の9時くらいから打ちに行って他のお客さんも5000枚くらい出している人が3人くらいいて、自分も閉店まで当たり続けて、何とか3000枚まで出せたと、そうしたホールもあるわけです。毎日のようにそこまでの状況の違いがあるわけではないにしても、平均的に見たときに、優良ホールと魔界ホールでは、どうしても“放出する枚数”と“放出をする台数”の差があるということです。


 ちなみに、私はスロットの鉄拳シリーズが好きなのですが、丸一日は打ったことがないにしても、これまでの初当たりを通算してみると、たぶん、300回くらいは初当たりを引いているような気もします。普通に考えてですよ、300回も初当たりを引いて5000枚を越えたことが一度もないというのは異常なのですよ。では、何百回の初当たりを引けば5000枚を越えるのですか?と、質問をしたいくらいですね。

 まぁ、スロットの場合は設定がどうのこうのというようなご意見もあるでしょうからパチンコに摩り替えますけど、例えば、ガロなどもそうですね。どれだけの台数を当てたでしょうか。自分でもおかしくなりますけど、40000発を越えたことは一度もないですね。大阪なんぞでは、毎日に近いくらいに、普通に50000発や70000発、90000発くらい出るホールもあるわけです。とてもではないが、同じ“ガロ”だとは思えません。もう、“ゲロ”って感じですわね。

 ですから、本当に不可思議な話になるようですけど、例えば、AさんやBさんという似たような対ホルコン技術論の実力がある人がいたとしても、その二人が通っているホールが違えば、AさんやBさんはまったく違った結果になることもありえる、ということです。このような理由から、できるだけまともなホールを選択する、ということが大切であると長年と言い続けてきたのですね。

 そして、パチンコならパチンコで、スロットならスロットで、通われるホールで勝てるときの金額の平均値を参考にしながら、その平均値を越えたときが止め時の目安になりますので、分不相応な挑戦をせずにコツコツと自分の換金金額の平均値を上げるつもりで切り上げる、という考え方が大切です。心配しなくても、そんなに簡単に平均値は上がりませんので、負けないでパチンコをしたい気持ちがあるのであれば、自分の換金金額の平均値を100円でも200円でも上げるように努力をすればよいのです。

 このテキストでも、平均換金金額という概念をご紹介しましたように、その平均値が30000円の人は、30000円まで使っても負けにはならないのですから、別に、誰かや自分の守りにくそうなルールに固執をするよりは遥かに楽であり、普遍性も高い考え方だと思いますね.


.自分は精神的に強くなれると思いますか?


A.そんなことは知りませんよ。ご自身の問題です。誰しも、他人の心の中に手を突っ込んでチャンネルを変えるように操作はできません。自分で強くなろとうと思い、努力をしなければ何も変わらないと思います。若いときに弱々しいのは可愛げもありますが、よいおじさんやおばさんになって弱々しいとウザイだけです。


 人間の尊厳は、精神力の気高さにあると思います。高貴なる精神、ゴールド・エクスペリエンスです。精神力が強い人間に魅力があり、他人を鼓舞するのです。別に、思想や信条、宗教的なことでなくても、精神力が高い人は神々しさがあります。

 人生、80歳まで生きても、29200日です。
パチンコの玉個数で表現をしたら16箱分くらいです。みなさんの人生を、一玉=一日で換算をしたら、16箱分しかないのです。そこに、何を求めますか? 何を得ようとしますか? 何を残したいですか?

1~2箱分の人生であれば、遊びで使ってもよいかもしれません。浮き草のように流される人生であってもよいかもしれません。弱々しい精神力で過ごした1~2箱の人生であったと省みてもよいかもしれません。しかし、天より16箱を与えられているのに、そのすべてを無駄なことに打ち込んだたら・・・ ただのアホかもしれません。みなさんが大好きなうんこ台に、その一箱、一箱が削られているのかもしれません。

“これまでにない自分自身の精神力”、“今まで知らなかった自分自身の精神力”を得るためには、「覚悟」が必要です。「覚悟がある人間は強い」・・・ 「覚悟ができた人間は、精神力という名の階段を登ることができる」・・・ そう、思うのですね。どんな小さなことでもよい、みなさんには、「覚悟」ができる人間になって頂きたいと思っています。


.パチンコに行ったら打たないと気が済みません。


A.はい、病気です。他の常連のお客さんと同じく依存症的な症状か、多少でも実力が上がってきていることでのプライドのような要素もあるかと思います。私も、パチンコに行って当てないなんてありえないと思う人間ですので反省をしながら書いているのですが、こればかりは、実力が上がれば上がるほど、それに比例をするように付き纏う厄介な症状になります。


 数字を見たら暗算をしなければ気が済まないような、そろばんの達人みたいな感じですかね。

よい意味で、職業病・・・ 悪い意味で、ただのギャンブル依存症です。自分がどちらの割合が多いのかの分析が必要だと思います。私自身は両方の“気”があると思います。

ただ、ちょいと気になる話なのですが、パチンコに行くことを、“何かの責任”にしてしまう傾向性がある人があります。自分がパチンコに行くのは、○○が○○だからだ・・・ ありませんか?

例えば、職場や何かのストレスの発散が大きな目的でとか・・・ 自宅のヨメコンとのコミュニケーションを避けたいとか・・・ 旦那の顔を見たくないとか・・・ 何かから逃げるようにパチンコへ足を運び、それを正当化しているような感情はありませんか?

パチンコホールへ通う目的が、パチンコの実力を上げるための研究や観察が目的ではなくて、前述のような他の理由の割合が多ければ、そりゃ、打たないと気が済みませんね。それで、マグレでも大金を手にして帰れば、より一層の正当化の材料になります。

 しかし、世の中、そんなに甘くはありません。みなさんがご存知の通りです。普通に考えて、パチンコで勝ってきたことを誉めてくれる人は少ないのです。そうです。パチンコ人生での起承転結の先読みをされているからです。今日は天狗にならせてやってもよいが、どうせ、また負ける日が来る・・・ 家族でも、夫婦でも、親子でも、白い目で見られているほうが多いのです。 

だからこそ、白い目や青い目で見られる親近者のみなさんを納得させるために努力をするべきですね。普通、何事でも納得をさせておればよいのは自分だけではありません。パチンコに通うということだけで、既に何らかの犠牲が発生していますので、それらの犠牲やリスクを上回るだけの結果を出すべきです。

『パチンコには行ったけど、観察だけで打たずに帰ってきました!』・・・ カオスの内部でも、もう少し、こんな話が飛び交うようになればと希望します。

そして、パチンコホールに入ったとしても、“別に打たなくてよいのだ”と、そういう意識を持って頂きたいです。必要がなければ打たなくてよいのです。打つか打たないかを決めるのは自分自身であって、あまり他人は関係がありません。自分が主体となって、自分の意思で決めていることであるので、強い精神力を持って、それらをコントロールができる自分になること、それが大事であると思います。

ちなみに、宗教的に分析をしますと、パチンコ好きの浮遊霊がうじゃうじゃしていますので、そうした目には見えないが自分の気分に影響を与えている“存在”に負けないように防御壁を張るということも大切です。簡単なのは、ホールの外へ出て、深呼吸をするだけでも波長が合わなくなるとがありますので、随分と熱くなっていたのが急激に冷めることもあります。

『あれ? わしは何をしていたのだろう?』・・・ こう思った時点でやられています。


.1円パチンコと4円パチンコに混ぜこぜで通っていると金銭感覚がおかしくなります。


A.そりゃ、そうです。それが普通です。わけがわからなくなります。例えば、一日の内で、1円パチンコをして、4円パチンコをして、5スロをして、20スロをして・・・ そんなことを何度も繰り返していると、頭が変になります。

自分の都合やホールの状況にもよりもますけど、やはり、一貫性のある取り組みをしたほうがよいでしょうね。パチンコで恐ろしいことは、自分の“金銭感覚”にヒビが入ったり、崩壊をしたりすることです。近年では、サービス精神が豊富ですよと言わないばかりに、一店舗の中でも1円パチンコ、2円パチンコ、4円パチンコ、5スロ、20スロなどと多様な営業スタイルで展開をしているパチンコホールが増えていますが、これなども、お客さんの金銭感覚を狂わせるのが目的のひとつでしょうから、ある意味で、嫌らしいと思いますわね。

何の商売でもそうだと感じますけど、品数を増やすということは営業意欲があるからです。パチンコホールの営業意欲とは、他のチェーン店舗などと比較をして利益を出すことでしょう。つまり、どれだけ回収ができるか、ということでもあります。

今ではイベントの規制が入りましたので姑息な集客手段が減っているようにも思いますが、例えば、年に数回のファン感謝デーなどでの回収の凄まじさを肌で感じていますと、いくらでも、そう、10億円でも100億円でも、稼げるだけ稼ぎたい、というのが本音だと思いますね。

負けて苦しむお客さんのこと?・・・ そんなことを考えていたらパチンコホールの経営などできません。借金苦で自殺をしたお客さんのこと?・・・ パチンコホールの責任ではないと、自分たちで自己暗示をかけているかのようにも見えます。

本当に、ライオンやシマウマの世界です。しかし、ライオンは一日に食べるだけの“狩り”しかしません。骨付き肉などを冷蔵庫で保存をすることもなければ、干物や乾燥食にして蓄えようともしません。そう考えたときに、人間の“欲”とは恐ろしいものでもあると感じます。いくらでも蓄えようとしますし、いくらでも金を回収しようとする、ということですね。

よい意味で、「智慧」、悪い意味で、「悪知恵」ということでしょうか。

つまり、本当の意味でパチンコに勝利をするということは、それだけの智慧や悪知恵を上回るだけのスキルを身に付けないと対抗ができない、ということでもあります。

そして、そこには、何よりも、“克己心”ですね。自分の弱さに“打ち勝つちから”が必要です。今回のテーマで考えるならば、多様な貸し玉の形態に翻弄をされない自分になる、ということでもあります。

パチンコホールでの「当たりの循環」や「活性化のサイクル」については、そのシマの“流れ”に上手に順応をする必要がありますが、軍資金などの運用やコントロールについては、自分のスタイルを貫くべきでしょうね。周囲の環境や状況に翻弄をされないように、ぶっとい一本の“碇”のようなものを打ち込んでおく必要があります。そう、流されてしまわないように、自分を守る、ということです。

“克己心”・・・ 自分の弱さに“打ち勝つ”ということは、“自分を守る”ことでもあります。

自分を守りたいと思うならば、自分に打ち勝つことが近道になるということです。


.私は待てない男、待てない女です。


A.これは簡単ですね。待てないのであれば、待たなくてよい台から狙えばよいということでもあります。基本的に、稼働率や還元率が高そうなホールであれば、待機型の戦術が有効になり、逆に、稼働率や還元率が低そうなホールであれば、いつまで待っていても自分の台の優位性が高くならないことが多いですので、しょうがなくでも、あっさりと当たりそうな台や強そうな台を狙うべく移動をする戦術が有効になります。

そして、自分が金を使うスピード(投資間隔)ですね。普通に考えて、どんなにホルコンの達人でも、1分と休みなく打ち続けていれば、どこかで損をすることや、最終的に負けることに繋がりやすくなります。

例えば、それは自動車の運転と似ていて、一般道路でも常に時速100kmくらいで走っていれば、他の自動車よりも目的地に着くことが早くなるかもしれませんが、いつかは自動車本体の故障の原因となったり、事故に遭ったりすることになります。自動車事故の大半の原因はスピードの出し過ぎによるものです。

一般道路はサーキット会場ではありませんし、パチンコホールもオリンピックか何かの会場ではありません。必要以上に急い打つ必要はない、ということですね。ホールによっては、打たないなら席を空けろと指図をする店員さんもいるかもしれませんが、誰も打てとは言いません。本当は、他人から打たされる筋合いもないわけですね。打つか打たないかは自分でコントロールができるということですし、本来は、間違いなく、自分でコントロールをしなければならない話なのです。

そして、同じく、待つか待たないかも自分の自由です。しかし、待てない人の精神的な傾向性を考えてみるに、そこには“忍耐力”が弱いとうこともあるかもしれませんが、どうしても周囲の状況に“射幸心”を煽られているようにも感じます。

ちなみに、パレートの法則というものがあります。物事の全体についての“2割”に集中をして成果を上げることによって、全体の“8割”に近い成果や効果を生み出すことがある、という考え方です。それだけ、私たちの仕事や生活、趣味などにも無駄なところがあるということですが、肝心要の“2割”に集中をすることで効率がよい仕事なり作業ができる、ということです。

それが、先ほどの射幸心についても言えると思います。例えば、シマにお客さんが20人ほどいたとして、普通、ホールシステムがお客さんの射幸心を煽るためには、その20人全員を当たらせることはしません。

そう、4人でよいのです。4人でも当たっていたら、射幸心を煽るという作業について、全体の8割への影響を与えている、ということになります。つまり、20人のお客さんで4人を当たらせたら、全体の8割である16人のお客さんの射幸心を効果的に煽れる、ということなのです。

ですから、単純には、5人に1人でも当たっていたらよいのです。2割ですね。十分に射幸心を煽れます。或いは、5人に1人でも勝たせたらよいのです。それでも、十分にリピーターが生まれてくるわけです。いつの間にか常連客になっていく、ということです。

では、話を戻しますが、自分たちが射幸心を煽られていないか?・・・ という観点で考えてみたときに、どんなに冷静沈着な人でも、“2割の隙”については防御力が働かないこともあるかと思うのですね。例えば、誰かが当たっているとうこともそうでしょうけど、自分が打っていた台をカマされるということについては、ほとんどのみなさんの感情の変化があるかと思います。

 例えば、自分が5台くらい打っていて止めた後に、その5台すべてをカマされなくても、そう、5台の2割ですから、1台でよいのです。それで十分にイラっとする、ということですね。

そして、5台の内で2台でもカマをされると、“パレート×2”になりますので、普通、心中穏やかではおれません。どんなに若いギャルのみなさんでも眼つきが悪くなりそうです。では、3台もカマをされるとどうなるか?・・・ “パレート×3”ですね。もう、人によっては自殺をしたくなるほどの効果があるかもしれない、ということです。

うんこ台を愛するかのように黙々と打ち続けているお客さんもありますが、“パレート・オブ・カマの被害”ということを嫌というほどに経験をされたのかもしれません。嫌な表現をしたら、パチンコホールに飼いならされている、ということでしょうか。

そうそう、先日、ブラレさんが5台打って、5台ともカマをされたそうです。“パレート×5”ですね。心理学的に考えてもそうでしょうけど、物理学的に考えても相当にきつかったと思います。しかし、そうした経験なくしては、なかなか実力が付いてこないという考え方もありますので、被害を最小限度に抑えながら“経験値”を蓄えて頂きたいです。

さて、”待てる待てない“の内容でしたが、ひとつの処方箋を出すとしたら、テリヤキさんのように、最初から打つ台数を決めておくという考え方も有効であると思います。1回のパチンコで自分が打つ台数の限界を決めておくということですね。普通、可能性がある台であれば、すべて打ちますという発想をされるみなさんが多いですから、そうした習慣が動き過ぎたことによるカマに被害に直結をすることもあるかと思います。

 打つ台数が少なければ、当然のようにカマの被害も減りますし、最初から自分が打つ台数を決めておけば、ちょいと怪しそうな台があったとしても無闇に打たなくなると考えます。最初から3~5台しか打たないと決めておけば、それだけ慎重になるからです。このような考え方も大切だと思いますね。


 それと、やっぱり、“平均値”です。同じテーマについても違った角度から考えてみたいとも思いますけど、どうしても、そこに落ち着きます。
“カマの被害”についてもそうで、その割合が多ければ自分の動きを遅くすればよいだけの話ですね。普通のホールで一日近くでも打っていますと、少なからずでも2~3台くらいはカマの被害に遭遇します。それが、1時間後であるとか、2時間後になると更に増えますし、伸びる台が多いホールでは被害額も多くなります。

 ここで、“観の回転”と申しますか、面白い話をしますね。みなさんが“カマの被害”について悩む最大の理由は、時間軸に翻弄をされている、ということなのです。自分が止めた後に出されたという“極めて短絡的な現実”についてショックを受けているようにも感じますけどね。


 しかし、本当は、誰しも、『カマの被害=100%』になるのです。
パチンコ台はいつか当たりますし、それまでのハマリから収束をするように伸びて見えることもあります。どの台であってもですね。それが明日かもしれないし、明後日かもしれませんが、例えば、自分が止めて5分後に当たることと、次の日に当たることでは、まったく悔しさが違ってきます。

 同じように“当たった”というのは事実です。しかし、時間軸が変わることによって、自分たちの悔しさに変化が起こるのです。
自分が止めて5分後にでも当たると、そのお客さんを呪い殺したくなるほどに悔しくて悲しいかもしれませんが、その台が次の日に当たったとしても、普通、何とも思いません。気にもしませんね。そう、ですから、“カマの被害”については減らせるように努力をしたほうがよいですが、必要以上に、それを『執着』にしてはならない、ということです。


.毎月、一定の金額までは勝てるのですが、それから下り坂になります。


A.これはよいご相談ですね。前回も似たような内容を書きましたが、誰しもが経験をしている内容について、深く自己分析をされたような発想だと思います。そして、“平均値”という考え方が本領を発揮できるテーマです。


 『自分が一ヶ月間で最大に増やすことができた金額』=『自己満足ライン』


 このように考えることもできます。どこかのラインで満足をしてしまうのですね。それを平均値で考えますと、普通、10~15万円くらいがそのピークになるみなさんが多いかと思います。連続的に勝てたということも含めて、10~15万円くらいパチンコで勝ちますと、気持ちが“緩くなる”と表現をしますか、ポケーっとなるような感じになることがあります。ハトポッポみたいな感じですね。

 例えば、自分の“自己満足ライン”が10~15万円くらいであって、財布に15万円くらい入っていたら、5万円くらい負けても大丈夫そうな気持ちになったり、それ以上、金を増やそうという気迫が弱くなったりするようになります。それを“飽和状態”とも言えそうです。

 何の物事でも成功をしているときにこそ隙が生まれたり、転落をしやすくなったりします。有頂天になっていると足元をすくわれる、ということでもありますね。そして、成功の階段を登っているということは、それだけ地面から高いところに移動をしているわけですので、そこから転落をしたときに、その分の追加ダメージが発生します。それが高い階段であればあるほど、転落をしたときのダメージが大きい、ということです。

 カオスでもパチンコで100万円まで貯金をされた人があります。その人は他のみなさんと比較をしても、自己満足ラインが高かったので、それだけ慎重に、それだけ手堅く、成功を積み重ねたのだと思います。しかし、その一定の100万円というピークに達したときに、まるで雪ダルマのように苦しみを増やしながら転がり落ちて行きました。

 このように、『自己満足ライン』に到達をしてしまいますと、一定の満足感を得てハングリー精神が弱くなることと、それまでは正常であった金銭感覚に亀裂が入ることで、パチンコの勝ち負けについてどうでもよくなるということがありえます。

 さて、みなさん、おひとりおひとり、必ず、どこかの地点で満足をしてしまう『自己満足ライン』があるはずです。それが、ない人はいません。人によっては、5万円、10万円、15万円、20万円・・・ 必ず、どこかで満足をしてしまうラインがあるはずです。気が緩んでしまう地点があるはずです。そこから、下り坂に転じてしまわないように考え方を調整したり、修正をしたりしなければ、自分の気分に流されていても“金”は増えません。

 まずは、自分の『自己満足ライン』を知ることです。そこから始まります。誰しも、有頂天であるときが、最も危険である、ということですので、成功の階段を登れば登るほど、気を引き締めて取り組んで頂きたいと思うのです。

 「先月は30万円まで貯金をしたのですが、今月ですべて返済しました。あははw」というようなことを何年と繰り返していても空しいだけです。本当に。パチンコをするからには金を増やせるようにする、逆に、どんなに頑張ってもそうならないと思い知ったら、パチンコを辞める。このくらいの覚悟で取り組んで頂きたいと思います。強固な目的意識を持ってそれを達成するべく努力をする姿勢にこそ、人間の精神力が鍛えられていくと思うのです。では、今回は、以上です。



.コウさん、助けて下さい!


A.はぁ。いつも言いますように、ボロ雑巾のようになる前に相談をして下さいと・・・ 消極的な話として、カオスのホルコン解明度が79%くらいだとのお告げもございましたように、技術的には役不足のところもあるかとは思います。ですので、他によりよい技術論でもあれば、それを学ばれることで何かしらの変化はあると思いますね。


 ただ、やはり基本と申しますか、パチンコに対する基本姿勢や考え方ですよね。私も百人を超えるかもしれない人たちのパチンコへの姿勢を見てきまして、統計的に断言ができることは・・・ そう、『結果的に負ける人たちは遊び感覚が強い』ということです。これは、断言ができますね。


 自分では遊び感覚など絶対にないと言われる人でも、第三者として客観的に見ていると、やっぱり遊びたい気持ちが見え隠れすることがあります。例えば、目的によっては違うこともありますけれど・・・ 下記の5項目が目立つ人は、“遊び”です。そう思って下さい。


(1) プッシュボタン依存症


(2) ハンドル依存症


(3) ぶん回し依存症


(4) 即止めできない依存症


(5) 上皿の玉がまだ残っているのに玉を借りるで症状



(1) プッシュボタン依存症


 これは、フェイクならOKです。目つきの悪そうな店員さんが通りかかったときに、プッシュボタンを連打していると安心します。余計なマークを避けるという意味では効果的ですね。或いは、激アツリーチや特定の演出を確認するためにプッシュボタンをいじるのもOKです。


 このくらいですね。他にいじる必要はないです。それ以外は、“遊び”です。


(2) ハンドル依存症


 これは・・・ もう、病気に近いです。無意識にハンドルを触ろうとします。ガチでそんなお客さんを見てきましたけど、本当に怖いくらいありますよ。例えば、ハンドルを握りながら片手で財布を開けて現金を用意していたり、ライターでタバコに火を点けるときにもハンドルは握っていたり、缶コーヒーの蓋を開けるのにもハンドルは握っていたり・・・


 もう、ハンドルと右手が磁石でくっついてるような感じです。これは、遊びというより、完全な病気ですね。ギャンブル依存症です。


(3) ぶん回し依存症


 これは、ぶん回し、打ちっぱなしですね。普通のパチンコ台の保留は4~8個でしょうから、それ以上、スタートチャッカーに玉を入れてお釣りが3発くらい返ってきたところで意味がないと言いますか、おそらく無駄になることのほうが多いのですけど、そんなことは気にしないようにぶん回している状況です。


 百歩譲って、ホールシステムの逆読みをして効果があるかもしれないと考えるところもありますけど、統計的や経験的に考えたときに、やっぱり、そうした打ち方は“損”をする行為でしかないと思います。ですから、これも、遊びや病気の仲間になるでしょう。負けてもしょうがないと思ってしまいます。


(4) 即止めできない依存症


 あ~ 耳が痛いみなさんもあるのを先読みした話になります。スロットのジャグラーなどが代表作品みたいなものでしょうねぇ。ボーナスが終わって100回転までは必ず回してしまうタイプのみなさんが多いかと思います。こればかりは、そのホールやシマの連チャン継続率の平均値を基本に考えたほうがよいのですが、今のご時勢で平均連チャン回数が3回以上とか・・・極めて少ないですわね。


 平均的な連チャン回数を考えたときに、2回でもあればよいほうです。当地の魔界ホールのジャグラーなどは、平均連チャン回数=1.2回くらいなものです。もう、連チャンしないようなものですね。ですから、当てた台で10回くらい即止めをしたら、1台くらい連チャンをしてカマをされるような感じですね。そのカマでも単品が当たって飲まれることが多いですので別に悔しくもないです。


 このように、平均的な連チャン回数が低いホールやシマであれば、潔く、クレジットを落として換金するくらいの根性が必要になります
。クレジットは50枚ですので1000円ですね。5台分で5000円ですよ。このような捉え方も大切だと思いますね。


(5) 上皿の玉がまだ残っているのに玉を借りるで症状


 次です。今回分では最後になります。『上皿の玉がまだ残っているのに玉を借りるで症状』ということですけど、上皿にまだ3~10発くらい玉が残っているときから、現金サンドに金を入れるお客さんも多いようです。


 実はこれ、ホールの制御システムに対して、非常にリスクが高い行動になると思いますね。つまり、当たりにくくなる可能性が高い、ということです。その理由は、常連客やパチンコ依存症のみなさんが、そうした行動をすることが多いからです。逆の発想で、初めてパチンコに来たようなお客さんであれば、どこに現金を入れてよいのかもわからないことがありますからね。


 それを、スポスポと矢継ぎ早に現金を入れようとするのであれば、それを感知した制御システムが、よい“カモ”としか判断をしないと思えるのです。ですから、制御システムの立場で考えたときに、常連客と素人客の見極めになる、ということでもありますね。常連客とは、勝っても負けても過去に吸った甘い汁を求めて通うお客さんのことですから、別に出さなくてもよいのです。


 それから、たぶん、カードの残高でも同じことが言えるかもしれません。上皿に玉が残っている状態でカードから玉を借りるということです。そうした“癖”があるみなさんは気を付けられたほうがよいですね


A) 上皿の玉を完全に打ち切り、ハンドルも戻す


B) それから、3分くらいは現金を投入しな


C) カードの残高があれば、カードも抜く


D) 邪魔台が発生しないようであれば、追加で投資をするか考える



 本来は、このくらいのペースで取り組まれたほうがよいです。できれば、習慣化をされて頂きたいですね。たぶん、この話をマジメに取り組むだけでも勝率が2割くらいは上がると思います。


 パチンコの攻略技術というものは、単純で地味な方法論のほうが習慣化さえできれば効果があるのですよ。
普遍性も高くなりますからね。どうしても、マジシャンのように派手な演出に憧れるみなさんが多いかとは思いますけど、マジシャンはマジシャンなりに日頃から地味で退屈そうな訓練を積み重ねているわけです。傍らで見ていたら、本当にあくびが出るようなことを繰り返して練習をしているのですね。パチンコも似たようなものです。

 さて、以上の5項目・・・ お心当たりがあるみなさんがありましたでしょう。


 以前のカオスであれば、もう少し控えめにお伝えをしたかもしれませんが、現在のカオスであれば、迷いなく、はっきりと断言ができそうです。『遊びでパチンコは勝てませんし、遊び感覚があるようでは、ホルコンの技術どうのこうのよりも先に、ご本人の問題です。』・・・ そう、お伝えしたいです。 


 パチンコで負けたくないなら、遊び感覚を徹底的に排除しましょう。場合によっては、自分なりに悪戦苦闘をしたが、一定の投資金額を超えてしまって、もう、どうにも挽回ができない状況はある。たしかにある。しかし、そうしたときに負け犬ムードにならないで、できる限り被害を抑える方向に切り替え、潔く、撤退をしましょう。・・・ ということです。



.自分は、他のカオスのみなさんと比べて頭が悪いと思うのです。


A.はい、そう思われるならそうかもしれません。しかし、自分の頭が悪いということを自覚するよりも、もっとそれ以上に悲しいことは、その頭の悪さをそのままに放置してしまうことではないでしょうか。本当に頭が悪い人は、自分の痛さにさえ気が付きません。


 それの自覚ができたということは、次のステップに進める資格を得た、ということでもあります。誰しも最初はそうなのです。人間なんて、アホが“基本値”だと私は思いますよ。稀に、生まれつきの天才という種族がいるかもしれませんけど、何万人に一人の世界など例外です。突然変異のようなものです。エイリアンです。そんなものを基準にしていてもしょうがないのです。


 たぶん、カオスのみなさんに全員集合してもらって、みなさんのIQを調べたら、私など下から数えたほうが早いくらいだと思いますね。悔しい気持ちもありますけど、たぶん、そうです。ですから、大丈夫です。こんなアホな私でも何かのサークルをまとめられるのですからね。そう、努力しだいということだと思います。


 頭の悪さや勘の鈍さを嘆いたり悩んだりする暇があれば、一歩でも二歩でも努力を積み重ねればよいのです。
そして、焦らないことです。他人との比較で悩む必要はないのです。自分は自分だし、他人の価値観に影響をされる必要もなく、自分にとって価値があると思えることに努力をして行けばよいのです。ある意味で、自分さえ成長できればそれでよいではないですか。自分は自分、他人は他人、私はそう思うところがあるので、随分と気が楽です。


.一日パチンコして死ぬほどくたびれるのですが、次の日の朝になるとケロっと回復してパチンコに通う自分は何かの病気ですか?


A.はい。パチンコ依存症の一例ではあると思います。ただ、寝たきり老人のようになるよりは遥かにマシですから、そこまで気にしなくてよいことだと思いますね。そもそも、パチンコの“疲れ”の大半は、肉体的なものではなくて、どうちらかと言えば、精神的なものが多いでしょうから、一晩くらい寝ることによって回復をしやすい、ということかもしれません。


 結局、ここがパチンコ依存症になってしまう大きな要因にもなると思うのですが、パチンコなどのギャンブルをする人たちは、どうしても負けたことを忘れようとする心理的な傾向性が強いと考えています。例えば、常連のおじさんやおばさんでも、勝ったときの話しかしない人たちがいますけれど、長い目で見たら99%は負けているわけですから、勝ったときの話ばかりをしたがる人たちは依存症レベルとしてはかなり危険な状態であると思います。


 負けたことを忘れてしまいたい、思い出したくないという気持ちはわかるのですけどね。本来のパチンコでの勝ち負けについての定義は様々でしょうが、私はパチンコで負けたということについては、ある“失敗”をした、ということだと考えています。


 それが台の選択における失敗であったり、止め時の判断での失敗であったりと、油断をするといくらでも失敗をする要素があるのですが、パチンコでの負けを自分の失敗であると考えないで、他の要素、つまり、“運”であるとか“ツキ”であるとか“引き”であるとか、人によっては、“天気”のせいにしたり、“他のお客さん”のせいにしたり、“ホール店員さん”のせいにしたりと、「自分は何も悪くないもん状態」になっていますと、失敗をしたことを認めていないわけで、そこから反省が生まれにくくなるのですね。そうした状況を毎日のように繰り返しているのが、パチンコ依存症と呼ばれる人たちであると思います。


 .パチンコで負けることは自分の失敗だとはわかるのですが、別にそれが悪いことだという認識がないのです。悪いことなのですか?


A.前回のQ&Aに関係がある内容ですね。さて、これは私の考え方です。別に極論でもありませんし、個人の考え方でよいと思うのですが、大局観で考えたときに、どちらかと言えば、善悪では“悪”に近いと思うのです。


 例えば、殺人罪に殺人幇助という余罪のようなものもありますし、自殺についても自殺幇助という第三者が介入をする罪もあります。そして、これはカオスブレイクやその他のホルコン制御を前提とする人たちの考え方でしかありませんが、パチンコホールは詐欺が前提で成り立っているような商売であると認識をしていますので、結果的にパチンコで負けるということは、その詐欺の行為に対して、代金を支払って応援しているようなことにもなるかと思うのですね。


 つまり、パチンコで負けることは、詐欺行為への“幇助”であるとも言えるかもしれません。
そうなってきますと、極端な話ですけど、パチンコホールへ通うことも、詐欺の行為への賛同行為や宣伝行為に接触をするかもしれませんね。恐ろしいことです。

 では、話を戻しますが、パチンコホールに献金をするということは、それだけ事業規模が拡大をして、更なるパチンコ依存症の人たちを増やすことになります。パチンコホールが儲けたら、新台入れ替えや光熱費、従業員のみなさんやパートさんたちの給料だけに使うのではありません。例えば、これまで自分がパチンコで100万円くらい負けていたとしたら、その100万円を使って、パチンコ依存症の人たちを10人くらいは増やしたかもしれません。


 現在のパチンコ総人口を考えたときに、どのように考えても、計算をしても、その割合は1対1ではないですね。1人の依存症のお客さんが、パチンコホールに金を注ぎこんで、10人、20人とまるでゾンビのようにパチンコ依存症の人たちを増やして来たのだと思うのです。ネズミ講のようなものでしょうね。


 ですから、パチンコで負けることは、その金が巡り巡って、パチンコ依存症などの被害者を増やすことに繋がりますので、そうした気の毒な人たちを増やさないために、やっぱり、負けないほうがよいし、みんながみんな負けなくなることはできないにしても、負ける金額を減らせるようにしたほうがよいと考えるのです。そういう意味で、パチンコで負けることは、どちらかと言えば、善悪では“悪”に近いと思うのです。


 それでは、次の観点です。前述しましたのは大局観からの考え方でしたが、今度は、パーソナルとしての考え方です。個人的な、ということですね。


 普通に考えて、お金、財産ですね。自分の財産を浪費したり、無くしたりすることは、自分に対して“悪いこと”だと考えましょう。たぶん、間違いがないです。Mっ気が強い人であれば、いじめられることに対して喜びや幸福感があるのかもしれませんが、普通、生活ができなくなるくらいの瀕死の状況になりますと、他の人に迷惑をかけることになります。一般論としても、自分の足でしっかりと立てない人は、他の人のお役に立つことも難しいのですね。


 ですから、順番としては、自助努力の精神と申しますか、身の回りのことについても強くなったほうがよいですね。少なくても自分のことは自分で守れるようになる、ということです。


 そうしたことで、鷹の眼と蟻の眼で考えたときにも、パチンコで負けることは“悪”かもしれない、という発想を持って頂ければ、また違った景色も見えてくるかと思います



.パチンコに行くたびに腹が立ちます。自分には向いていないのでしょうか?


A.そうですね。腹が立つ原因で考えられるのは・・・


(1) 負けたことや、当たっても連チャンしないこと


(2) ホール店員さんの目付きや態度が悪いこと


(3) お客さんとのカマ騒動や、自分の連れとのささいなトラブルなど


 このくらいでしょうか。大抵の場合は、負けたので腹が立つのでしょう。普通、散財を繰り返して怒り狂っていても1回でも当たれば気分が変わります。それが単発くらいで終わるとまたムカムカしてきますが。


 他には、ホール店員さんの態度もありえます。パチンコホールも商売のはずなのですけどね。どうも勘違いをしている業者もあるようで、さっさと負けて帰れと本気で思っているホール店員さんなどもいます。昔のパチンコホールでは本当にありえないことが多発していました。


 行儀の悪そうなお客さんを事務所に連れ込んで脅したり、木刀で殴ったりしていたという話も聞きました。昔はゴト行為なども多かったですからね。まぁ、それでも勘違いをしていたと思います。今でそこ暴力的なことはしないようですけど、その本質は似たようなものだと思います。


 それから、夫婦などでパチンコに来ていてケンカみたいなことをしていることもありますね。あれに座ればよかったとか、あんたが箱を持って行ったので負けたとか、まぁ、他人の責任にしている時点で進歩が少ないと思うのですが、そもそも一般のお客さんにしてみたら不確定要素が強すぎる話ですから、自分の責任として取り組めないのならパチンコをするべきではないのでしょう。

 
 そうしたことで、本来は自分の問題だと考えて取り組んだほうがよいのですが、ホールによってはお客さんたちをイラつかせる割合が違いますので、その割合が多すぎるホールはうんこホールと認定をした上で、何かの修行や苦行以外では近寄らないほうがよいかと思います。


 それを他の業種で喩えるなら、そう、飲み屋さんなどと似ています。スナックなどですね。世の中には、本当に良心的な飲み屋さんもありますし、逆に、ボッタクリバーのようなものもありますわね。似たようなサービスを展開していても、それだけ本質の違いがあるということです。そういう意味では、違ったホールの見聞をされることも、何かのヒントになると思います。



.パチンコで負ける夢を見たときに、次のパチンコは高確率で負けます。霊感ですか?


A.私も同じ感想を持っています。正夢みたいなものでしょうか。ただこの話も統計的な裏付けがあれば面白いのですけどね。例えば、いつもパチンコで勝っているような人が、たまたま負ける夢を見た次の日に本当に負けるとか・・・ ですね。


 逆に、いつもパチンコで負けているような人が、負ける夢を見たところで、日常化をしている負けた記憶かトラウマから発生をするところの、本当にただの夢だったと考えられてもしょうがないですわね。


 ただ、その真相がどうであれ、パチンコで負ける夢を見たら実際に負けるのであれば、それだけ用心をしたらよいだけの話であって、ある意味でありがたい“お告げ”だと解釈をされたらよいかと思います。いつもより手堅く立ち回ったり、投資金額を抑えたり、パチンコホールにいる時間を減らしたり・・・ そうした努力をされてみて下さい。



.パチンコホールに長くいたら、その日の夜に金縛りにあいます。やばいですか?


A.ケースバイケースですわね。黒ボイジョさんも似たようなことを言われます。まぁ、あれですね。黒ボイジョさんの場合は、“常習化”していると申しますか、“金縛りマニア”のようなものですから、もう、ある意味で、趣味に近いかもですw


 そもそも、パチンコホールには浮遊霊のようなものがウジャウジャといらっしゃるわけですが、基本的に波長が合わないとあっさりスルーしますので、波長さえ合わせなければどうということはありません。 えっ? それがわからんて?


 そうですか・・・ 普通に考えて、“金銭欲”や“博打思考”ですよ。金が欲しい、金が欲しいというような欲求と、ハラハラ、ドキドキしたいというようなギャンブルへの傾倒的な思考です。それを単純に考えてよいかは微妙ではありますけど、“いつまでも満たされない空洞”のようなものが心の中にあるのですね。それが満たされないので、満たされるまで繰り返そうとしているのが、“ギャンブル浮遊霊”の本質です。


 人間、誰しも何らかの欲求があるものですが、前述をしましたように、ギャンブル浮遊霊の精神的な状態とは、その満たされない欲求が普通の霊人と比較をして極端になっているような状態だと思います。“金銭欲”や“博打思考”に対してですね。普通の人や霊人と比較をして興味や関心が強いと申しますか、のめり込みすぎているような状態でしょうか。


 それを個人的には善悪論で片付けたくもないのですが、人間の平均値(これはなかり難しい議論ですので私も自信がある回答はできません)を考えたときに、ギャンブル浮遊霊について、どしても“迷っている霊”のように表現をされることが多いようです。天国でも地獄でもない・・・ その“中間の層の住人”のようなものかもしれませんね。


 ただ、動物のそれと似ていて、己の欲求のみで存在をしていると考えてしまうときに、どうしても信仰心や無信仰心の観点で捉えるられることがあるようで、それを“無信仰地獄の住人”であると言われる人たちもあります。ですから、地獄は地獄なのかなと、そうした発想もあるということでしょう。ただ、それが自己完結で封じ込められていればよいのですが、どうしても他人に対して悪影響を与える割合が多くなっていきますので、持ち帰り的な金縛り現象などがあったときに、やっぱり迷惑をすることがありますわね。まぁ、また考えておきます。



.私がパチンコで負けるのはギャンブル浮遊霊のせいですか?


A.あははw そのようなご質問をされようとした時点で努力の放棄に近いかもですね。ただ、現実にはあると思いますよ。職場でも家庭でも何かの趣味やレジャーでも、何らかの霊的な悪影響を受けていることはありえます。それはどこかの地場や空間でもそうですね。


 例えば、今度、たっんさんが引越しをされるようですけど、どこかの高級マンションかアパートへの引越しを考えたときに・・・


(1) 高級マンションAは、新築で前入居者がいなかった


(2) 高級マンションBは、前入居者が過去に3人ほど自殺をしている


 このようなケースがあったときに、一般的に霊感がない人でも、(2)は嫌ですよね。あまり気持ちがよいものではありません。引っ越した後に何か妙なことでも起きるならば、別にそこで自殺をした人には関係がなくても、そうした因果関係について勘繰ることがあるかと思います。


 ただ、ここが難しいところでもあるのですが、間接的にでも“目には見えない存在からの被害”を受けている人がいることも事実であって、それを解決しなければ人生に芽が出ない、人間関係がよくならない、運気がよくならない、病気などが治りにくい、ようはさっぱりしないということもありえます。


 “目には見えない存在からの被害”ということを信じたら信じたで、妙な霊感商法や悪質な宗教などに騙されることも増えますし、信じないなら信じないで、現在進行中の何らかの被害がいつまでも慢性的に続いてしまうこともあります。普通、目には見えることでも判断に迷ったり、悩んだりするわけで、それが目には見えない世界の話となると、余計に難しいところがありますね。

 
 ギャンブル浮遊霊についてもそうで、少なからずお客さんが通うパチンコホールであれば、そう、100%いると思います。間違いないと思います。参考までに、ギャンブル浮遊霊から何らかの被害を受けていそうなお客さんの様子を表現してみます。


(1) 月刊カオス2月号の“パチンコ依存症”の事例にあるようなお客さん全般


(2) 自分の財布の中の“残金”について意識が弱くなっているお客さん


(3) 異常なほどに“貧乏ゆすり”をしているお客さん


(4) 極端に“自分の台”しか見ていなくて、黙々と打っているお客さん


(5) プッシュボタンを“殴打”したり、パチンコ台を叩いたりしているお客さん


(6) 何かの“不平不満”を言うために、店員さんを捕まえたがるお客さん


 私が見ている限りでは、このような雰囲気のお客さんは何らかの霊的な悪影響を受けていると思います。一言で、“喜怒哀楽”が激しいなどの“感情の起伏”が強いということであり、普通のお客さんと比較をして、やはり、極端な挙動や行動が目立つと思います。もし、みなさんにこのような症状が適合することがありましたら、それがなぜなのか?ということに意識を向けて頂きたいですし、今後もパチンコ攻略の一環として、“G浮遊霊対策法”などをご紹介していきます。



.最近、パチンコで勝っても負けて虚しさがあります。引退でしょうか?


 A.そうですねぇ・・・ 逆に、「パチンコができて幸せ一杯!! 今日も閉店まで頑張るぞー!!」って心境よりもマシなのかもしれません。何事もそうですけど、よい意味で、“倦怠期”ということはあります。男女間の話でも、夫婦間の話でもそうですが、あまりにも束縛をしたりされたりするとお互いが不幸になることが多いでしょうからね。


 ですから、一日中、パチンコのことばかり考えていても、いつかはその人の人生や生活がおかしくなりますし、逆に、1~2ヶ月に1回くらいしかパチンコに通わなくても、それでパチンコの技術が上達をするかと言えば、それはかなり難しくなると思います。ですから、何事も中ほど(中庸・中道)がよいということでもありそうです。


 そもそも、なぜ、“虚しさ”という感情や感覚が発生をするのか、という観点も大切ですね。私、虚しさの定義については詳しく知りませんが、単純に考えたときに、“そこに希望がない状態”とでも定義をしてみたいです。


 私たち人間も含めて、動物とは面白い生き物であると思うのですが、例えば、ワクワク・ドキドキするような“希望”や“期待感”があるときに、それと同時に、“虚しさ”という感情を持つことはできにくいと思います。パチンコホールの通路などで、笑顔でスキップをしながら、うなだれているような感じですね。どっちなんですか?・・・ って思いますわね。


 そうしたことで、“虚しさ”とは、“希望や期待の不在”として考えることができそうですし、パチンコそのものに対して、勝っても負けても“希望や期待が薄い”ということであれば、その方向性として、ギャンブルから足を洗うための“心の準備”をしている気配もあります。自分の本心と言いますか、正直な“心の声”のようなものが、「そろそろ潮時じゃね?」って訴えはじめているかのようです。


 本来は、その人にとって、パチンコなどのギャンブルをすることが“正しい生き方”や“正しい人生”ではなくて、何らかの理由で、狐につままれたようにパチンコホールに通っていた、というケースもあると思うのですね。それは、趣味嗜好として十人十色の話であるし、人間関係や時期の要素もあることですが、国内でのパチンコ人口が多いことに反比例をするかように、パチンコなどしないほうがよい人の割合が圧倒的に多いかと思いますので、そうした“心の声”や“叫び声”が聞こえたときには、素直に自分を見つめ直すということも大切だと思います。


 そもそもですね・・・ パチンコなどしている暇があれば、もっと他にしなければならないことを抱えているみなさんが大多数だと思いますよ。もし、会社や家庭や人間関係での“嫌なこと”から逃げるようにパチンコホールに駆け込んでいるような人生があったときに、そこで上手に金を稼げたり、してやったりと思うことがあっても、それは蜃気楼のような成功や満足感でしかないかもしれないと、そう思うのです。


 さて、長くなりそうなテーマですのでまとめますが、そうしたことで、今後もみなさんがパチンコをされるなら、“現実逃避”や“惰性”ではなくて、それなりの目的意識を持って取り組んで頂きたいです。カオスブレイクでは、それを“納得の追及”というように捉えています。パチンコやスロットに対して“一定の納得”ができるようになることで、パチンコやスロットから足を洗うか、さらに極めるかの選択ができるようになると思います。どうか、一時的なことでもよい、自分自身を“納得”させてみて下さい。そうした考え方や、その考え方に基づいた日頃の努力によって、また違った景色も見えてくるようになると、私は信じます。


.カオスが提唱をする「平均値」ということが、どうもよくわからないのですが?

A.はい。「鷹の眼」に尽きます。物事を全体的に見るちからです。これは、ひとつの能力に近いところもありますし、才能に近い感覚でもあるかもしれません。別に特殊能力であるとか超能力のようなものではないにしても、どうしても個人差があるのは事実です。

 
例えば、私の人生の課題として、「人間の平均値」ということを学んでいるのですが、私の周囲のみなさん、ご縁があって出会ったみなさん、単純に、友達でも知人でも一過性の付き合いでもよいのですが、それが500人くらいだとします。

 
一方で、時代を遡って、私がカオスブレイクを創立する以前は、人間嫌いの性格もあってそうしたみなさんが30人くらいだったかもしれません。このように、適当な数値でもないのですが、この7年間で、30人くらいから500人くらいに付き合いの幅が増えたわけですね。

 
そうなのです。私の人生の課題として、「人間の平均値」ということを学ぼうと気が付いたのは、それが理由です。30人くらいの付き合いであれば気にもしなかったことなのです。ところが、人間付き合いとしての絶対数が増えることによって、「平均値」を学ばなければやっていけない、そうした状況が生じてくるようになりました。

 
例えば、2~3人のみなさんを相手にしているのであれば、その2~3人のみなさんが喜ばれるような発想をすることは、そこまで難しくありません。別に男女関係での二股や三股ではないのですけど、変わりばんこでもよいわけです。対応ができる範囲だと思います。

 しかし、その人数が500人になったら?普通に考えて無理ですね。ひとりの人間で対応ができるものではありません。物理的・時間的に無理です。ですから、その500人のみなさんにとっての共通項を探して、研究をして、学んで、何度も何度も失敗をして、泣きながらでも「平均値」を構築して、「普遍性」を構築して、対応をしていくしか道がないのですね。

 
そうなると、もう、本当に発言ができることが少なくなります。500人のみなさんに共通して納得を頂けるような内容でなければ通用をしないからですね。たぶん、今の私と同じ立場にどなたかが立ったら、「みなさん、頑張りましょう!」くらいしか言えないこともあるかと思います。しかし、下手をしたら、「今は、頑張らないで自重をしたほがよい時期」の人もあるかもしれません。

 
もう、本当に、何も言えなくなることもあるかもしれませんね。

 
ただ、先ほど、「みなさん、頑張りましょう!」という発言はできそうだと事例を挙げてみましけど、普通は、これが「普遍性」を満たしているという意味での「平均値」になります。500人のみなさんがあったときに、その90%くらいのみなさんは不快感を覚えないでしょう。許容範囲である、ということですね。

 
このように、自分が対応をしたい人数にあわせて、そのみなさんに共通をすることを模索しながら慎重に提案や提唱をしていく努力がいつまでも付き纏うということです。その努力を放棄したときに、組織やサークルの崩壊がはじまります。人数は多いが、自分と気があう人とだけ仲良くして、そうでない人は村八分にする・・・ 最悪の状況です。

 
さて、パチンコの「平均値」の話に戻ります。

 
例えば、1シマ=500台のパチンコホールがあったとします。そして、そのホールに長年と通われていた人があったとします。もし、その人が、1シマの台数が40台や36台のパチンコホールに行くことがあったときに、どうのように感じるかですね。

 
1シマ=500台のパチンコホールで戦ってきたような人ですからね。そういうことです。

 「鷹の眼」に尽きます。物事を全体的に見るちからです。これは、ひとつの能力に近いところもありますし、才能に近い感覚でもあるかもしれません。別に特殊能力であるとか超能力のようなものではないにしても、どうしても個人差があるのは事実です。

 
パチンコでの「平均値」を知るのは、普通、最低2台の対象が必要です。別に1台としての栄枯盛衰の「平均値」も取れないことはないでしょうが、比較対象という意味での「平均値」を知りたいのであれば、最低2台は必要ですね。どの台が強いのか、どの台が弱いのか、ということを知るためにです。

 そして、その台数が5台、10台、20台、40台、80台・・・ となるのに比例をして、比較対象という意味での「平均値」の精度が上がります。ようは、より多くの台数を対象としましょう、見ましょう、意識しましょう・・・ ということです



.私はパチンコをしたほうがよいのですか?


A.よいご質問です。普通は、「そんなことは知りませんよ、自分で考えましょう」・・・ と、あっけなく撥ね返されそうな話ですけど、意外に深いご質問かもしれません。


 なぜなら、ご自身のライフスタイルについての問題提起でもあるからです。
普通に考えたときに、パチンコをしたくてたまらない人は、他人が行くなと言っても勝手に通いますし、逆に、ケチョンケチョンにやられ続けてうんざりとされている人は、自主的にパチンコから離れます。

 ようは、そうした極端な心境ではなくて、“真ん中”の状態である、ということですね。

 不思議に思われるかもしれませんが、人間が何かのことで成長をしたり進歩をしたりするのは、意外に、この“真ん中”の地点からであることが多いのですね。私も錯覚をしていたことがあって、例えば、昔のジャッキー・チェンの映画などにありますような、肉体鍛錬や拳法の訓練や苦行をしている風景を思い描いて、そうした極端な状況のときにこそ、人間は成長をしたり進歩をしたりするのだろうと考えもしていました。

 ただ、よく考えてみたら、筋肉トレーニングでもそうでしょうけど、「トレーニングなどの修行や苦行=筋肉の破壊」であって、「休息によって筋肉の回復をさせる=筋肉が強くなる」ということですわね。ようは、クールダウンのようなものでしょう。

 この筋肉の話であれば、トレーニングや修行や苦行のときに筋肉が強くなるのではではなく、休ませているときにこそ、回復をして以前よりも強くなる、ということですね。そう、「超回復」のような言葉があると、こってりんさんが言っていたのを思い出します。

 結果的に、そうした訓練や苦行がなければ「超回復」をすることはないのでしょうけど、パチンコでも同じことがあって、例えば、ホール現場でがむしゃらにもがいて、考えて、悩んで、転げ回って泡を吹いているようなときに成長や進歩をしているのではなく、その日には泣きながら家に帰ったとしても、いつか冷静なときに、その日の出来事を振り返ったり、反省をしたり、よくよくそのときの状況を考えてみたら、「何で負けたのか?」がわかるときがありますね。

 それが、パチンコでの「超回復」であり、その人が最も成長をして伸びるときかもしれないということです。


 裏を返せば、どれだけホール現場でがむしゃらにもがいて、考えて、悩んで、転げ回って、何度も何度も泡を吹いて倒れそうになっているとしても、その日の出来事を振り返ったり、反省をしたり、よくよくそのときの状況を考えてみるような冷静な日(時間)がなければ、たぶん、あまり進歩や成長をしないのかもしれません。

 先ほどの、筋肉トレーニングの喩え話と似ていますね。筋肉に対して過酷な修行や苦行ばかりの毎日で、回復や修復の時間を与えなければ、鍛えられるにしても出来の悪い筋肉になったり、ひねくれた筋肉になったりするのかもしれません。

 そうしたことで、パチンコ全般についても言えそうなことですけど、「緊張」と「弛緩」のバランスであったり、「熱意」や「冷静」さのバランスであったりと、適度な距離感を意識しながら取り組むことが大切であると思うのですね。つまりは、パチンコでの日々の「冷静な反省」が、クールダウンであり、「超回復」である、ということです。そういう意味で、一歩でも二歩でも下がった地点からパチンコを眺めることができることは、理想的な心境であると思いますね。



.うちのホールはうんこホールのようでもあるし、出ているときにはそれなりに出ています。これってどうなのでしょうか?

A.これも「平均値」ですね。普通に考えて、1日のお客さんの動員数が10人未満のホールなどには通われないでしょうから、多少でもお客さんがあるホールに通われるのが前提の話だと思います。そうなりますと、ホールシステムもアホではないですから、「出る台」と「出ない台」でバランスのよい演出をしているということです。

 例えば、どの台かで30000発クラスの台を出したいとします。見せ台ですね。普通、出玉のアピールをしたいでしょうから、そうした計画もありえます。しかし、稼働率が高いホールと稼働率が低いホールでは、お客さんからの回収がまちまちですから、同じようなサイクルで30000発クラスの台を出すことはできません。


 それでも、たまには30000発クラスの台が出なければ、店舗のアピールにもなりませんし、お客さんの射幸心も煽れません。「このホールは当っても最高で2箱くらいなものですよ」と、そうしたイメージが定着をしたら、もう、パチンコホールとしては廃墟のようなものです。


 それでは、どうやってその帳尻を合わせようとしているのか・・・ ということですね。


(1) 稼働率が高いホールの場合は、
1日に1台は、30000発クラスの台を出せる


(2) 稼働率が低いホールの場合は、
3~4日に1台は、30000発クラスの台を出せる


 そう、「タイムライン」の違いですね。同じように30000発クラスの台を出したいと考えていても、お客さんからの回収がなければ還元ができません。パチンコホールが銀行やサラ金に金を借りてでも還元をするかと考えたら、かなり微妙でしょうからね。


 「うんこホールのようだけど、出ているときにはそれなりに出ている」

 ですから、いつも出ているのではなくて、出ているように見えるときもある、というのが真相であると思います。本当は、3~4日に1回、或いは、下手をしたら、1ヶ月に1~2回くらいしか30000発クラスの台など出ていないのだけれど、たまたまそのときに目撃をしたり、データロボの当り回数などで出ていた日があると知ったりと、別にいつも出ているわけではないのに、そう錯覚をしていることもありえます。

 そうです。錯覚や思い込みである可能性がありますし、錯覚や思い込みなど、本来の「平均値」からは程遠いものなのですね。

 もしかしたら、30000発まで伸びるかもしれない・・・ そう期待をするのは自由です。しかし、そんなに甘くはないのです。30000発クラスの台が出るホールのように見えても、本当の意味で平均値を考えたときに、そのホールでのそれは、1/1000台くらいの割合かもしれません。1000台くらい当てたら、ようやく30000発まで伸びる台が出るかもしれない、そんな状況で何の期待ができるのでしょうか。

 当地に恐ろしいホールがあるのですが、壁掛けのスケッチボードのようなお知らせに、「376番台、10000枚突破!!!」とか手書きで書いてあるのを見たことがあります。スロットで爆発でもしたのでしょう。それで、へぇ~と思ってマジマジと読んでみると、その日付が、「平成13年7月」とか書いてあるのですね。13年前の話ですよ。そういうことです。



.カオスでマジメに努力をしたら勝てるようになりますか?

A.ええ、勝てるようになりますよ。ご自身の甘い考え方に対して、多少は打ち克てる自分にはなれると思います。しかし、パチンコで勝てるようになるかは別の話です。

 
そもそも、パチンコで勝ちたいと思われるみなさんの大多数は、パチンコで勝てる資格のない考え方をされているみなさんが多いのです。基本的に、他人を頼りにされる時点で、「他力本願」のようなものですからね。私が知っている他の世界での「他力」の影響力とは凄まじいものがあるのですが、単純にパチンコの分野での「他力」については、そんなに甘くないというのが現状です。

 パチンコの基本は、「自力」ですよ。それ以外にありません。
例えば、宗教の分野での話をしますと、仏教には「自力門」と「他力門」と分けて考える風潮があります。単純に、禅や荒行を通して自分を鍛えようとするような「自助努力型」の考え方と、お経や念仏を中心として神頼みをするような「他力中心型」の考え方です。


 ちなみに、戦後、雨後の竹の子のように広がった新興宗教などの大部分は、後者のお経や念仏を中心として神頼みをするような「他力中心型」の考え方です。ようは、“モノ”ですね。信仰の対象を“モノ”に摩り替えて、いろんなアイテムを買わせようとする「ご利益信仰」です。お経信仰や念仏信仰の波及先やオプションとして、“モノ”を作り出すことで、そうしたインチキ教団が利益を上げるという構図ができて来たのだと考えます。


 本来、仏教でもそうですけど、「自力」と「他力」という考え方は、両者ともに正しいのですね。ただ、時代背景にも影響を受け、それらを信じる人たちや考え方が極端になってしまう傾向性があるのか、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているような受け止められ方をすることがあるようです。しかし、仏教の本家である釈尊は、その両方を説いておられるわけで、その理解ができないということは、後世の弟子や信者の努力不足でしかないのかもしれません。


 それで、私が思う「自力論」や「他力論」を単純にまとめたときに、一般的には、「自力があってこそ他力が望む」・・・ この一行で解決をするような気もします。
「最初に自助努力があってこそ、それを見た他人が助けてくれることがある」ということですね。普通に考えて、苦境や不遇で悩んでいそうな人があっても、何の努力もしていないなら、助ける人は少ないのです。


 それは神や仏でも似ているところがあるかもしれませんね。何の努力もしないで助けてくれとせがむだけの人間がいたときに、下手に助けてしまえば、その人間をダメにしてしまう結末を予測されるかもしれません。助けることが本人のためにならないことがある、そうした事情もありえると思います。


 ある意味で、「自力論」や「他力論」というものは、人間の極端な精神的な態度や姿勢ですから、やっぱり、その“真ん中”に秘訣があると思うのですよ。最近の優れた仏教哲学の中には、「自力」と「他力」の両者を認め、その中間のポジションである「絶対力」的な発想を拠り所とするような考え方があるようです。


 「最初に自助努力をする姿勢があってこそ、それを見た他人が助けてくれることがある」


 完全に「自力」だけの世界でもなく、完全に「他力」だけの世界でもなく、自らを助けようと、自らを救おうと努力をしているときに、別に頼んでもいないのに、誰かが助けてくれるようなことも出てくる、ということでしょうか。不思議な感覚のようにも思えますが、私の人生を振り返ってみても、そうした事例が山のようにありましたので、今は、それを信じています。



.カオスのみなさんで、一度はお話をしてみたい人がいらっしゃるのですが、私の性格でなかなかコンタクトができません。何かよい方法はないでしょうか?

A.はい。別にカオス内でのコミュニケーションの話だけに限らずに、他の分野でのコミュケーション全般に言えることを書いてみたいと思います。

 「私の性格で・・・」という表現をされていますけど、それがすべての理由ではないような気もしますね。たぶん、15~17歳くらいの可憐な少女に好きな人でもできて、なかなか相手に告白ができずに、モジモジとしているような感覚ではないでしょう。


 そもそも、うちは「出会い系カオス」ではありませんから、それを狙ってご入会をされてもしょうがないところはありますね。いや、出会ってもよいのですよ。出会ってもよいのですけど、さすがに当会の趣旨というものがありますので、ほどほどにお願いはしたいです。


 えっ? マジメな話をしたいのですか?


 それであれば、私が恋のキューピット役に・・・ あ、違いますね。すみません。


 まぁ、コメントですかね。
意外にですよ・・・ SNSで日記を書かれるみなさんって、誰が見たのかとかマメにチェックをされていることがあるのですよ。気になる人もあるみたいです。ようは、日記を書くことじたいが、他人とのコミュミケーションが好きな人なのですよ。

 たぶん、社交的なのでしょうね。


 ですから、日記を書いているような人であれば、何の抵抗もなくコンタクトをしても大丈夫だと思います。
大抵は、相手も喜ぶし、自分もすっきり?すると思います。そうやって慣れていきますと、どなたにでもコミュニケーションができるようになります。
 
 ちなみに、個人的にはですね・・・ 2ちゃんねるのノリとか嫌いではないので、例えば、アンディさんの言い回しはウザいっす、とか、夏さん、何を言っているのかわからん、とか、黒ボイジョさん、おいしそうなところだけもっていくな、とか、喧嘩にならない範囲でツッコミを入れて頂いたほうが楽しいとは思うのですね。


 正直なところ、カオスのみなさんがクソマジメすぎて、ボケ役が少ないですから、しょうがなく私がボケなければならんことがあって、そこにたいたいさんがツッコンでくれるのですが、彼のツッコミはカミソリのように鋭いですから、他のみなさんがし~んとしていますと、ただ、私が痛い人で終わることがあるので萎えるのです。


 ライン(CTU)のほうは、まだマシですね。絡んでくれるみなさんがありますので、何とか起軌道修正もできますけど、過去、私が痛い人で終わったことが何度もありましたので。はい、本当に痛いところがあるのは認めますので、今回だけでも指摘なしでお願いします。


 そうしたことで、ここにも左右の両極端を去った「中道の理念」が必要になりますわね。極端にクソマジメすぎても、その空気の重たさに発言ができるみなさんが減っていきますし、極端にふざけすぎていても、物足りなさを感じたり、やる気を失くしたりするみなさんが出てきます。


 ただ、カオスを通して私が学んできたとこがあるとするならば、「普通、人は楽しいことが好き」ということですね。それが今後も「キーワード」になる気がしています。



.自分が負ける原因を知りたいのですが


A.このような漠然としたご質問について考えるときに、私はエスパーや超能力者ではありませんので具体的な原因はわかりませんが、一般論として思いつくことはけっこうあります。


(1)勝って帰るということに対して「真剣さ」が足りない

(2)自分では認めたくないところに「遊び心」がある 

(3)金銭感覚や収支感覚が子供なみに「甘い」

(4)どこかに「負けてもしょうがない」と思う気持ちがある

(5)他のお客さんの出玉に射幸心を煽られている

(6)負け戦であるとわかっていても「引かない」

(7)勝っても負けても休む日もなくパチンコに「通い」たくなる

 他にもたくさんありそうですが、このような姿勢や考え方をされているみなさんで、パチンコの常勝街道を突き進まれている人はいないと思います。大抵は、パチンコ破産か借金苦の生活になる運命だと思います。


 いや、恐ろしいことに、それが全国のパチンコユーザーのみなさんの「平均値」になるかもしれませんね。パチンコホールは毎日のように、膨大な経費を使いながら営業をしているわけです。その経費をどこから捻出しているのかと考えたときに、普通、お客さんが「負ける金」です。


 ほぼ毎日ですよ。しかも、倒産をするまで・・・


 お客さんが負けるからパチンコホールが成り立っているわけで、基本的な方向性としては、金を吸い取られるだけなのですね。ですから、普通にパチンコホールに通っているのなら、負けて金を支払うのが前提であるということです。それを続けて行くと、その年数に比例をして莫大な金額になるということです。こんな田舎でも、長年のパチンコ通いで1000万円くらいは負けたというお客さんが珍しくありません。


 「パチンコ」=「一定時間、遊んで金を支払ってくるところ」


 これが基本なのですね。これが原則的な考え方なのです。ですから、通算でもパチンコで勝っているようなみなさんは、例外に当たるのです。しかも、長い目で見れば見るほど、その例外の割合が下がっていきます。0.001%とか、そんな数値になると思いますね。1000人に1人くらい、そんな奇特な人がいるような世界だと思います。


 そうであるならば、他のお客さんと同じようなことを考え、同じような行動をしていても勝てるようになるはずがないのです。『自分は、一般のお客さんたちとは、まるで別次元の感覚やセンスで取り組まなければならない』・・・ このくらいの覚悟が必要です。


 例えば、「カマをされてメンタルが崩壊しそうです(泣)」・・・ 門前払いなのです。そんなことで狂わされているようでは、他のお客さんと何も変わりません。そういうことです。



.けっきょく、簡単に勝てるようになる攻略法ってあるのですか?


A.たぶん、ないです。一昔前では、キズネタ(それも怪しい)のような情報があって、一時的にでも通用をしたような話はありましたけどね。そもそも、セット打法系の方法論は寿命が短いのが前提ですので「普遍性」や「再現性」がないに等しいですから、カオスならカオスでそんな話を持ち出した時点で信用を失いますから、あまり話題にも出したくないのです。


 それと似ている考え方で、出目攻略(攻略になるのかは微妙)などもありますね。サムローくんなどが喜んで何かに書いていたかもしれません。結論として、「だから何?」って感想を持っていますけどね。


 普通に考えて、そのデメでもカメでもよいのですが、その後に当った割合と当らなかった割合とを比較したときに、別に大差がないように思うのです。
当る台の前兆としても出現をすることがあるし、いつまでも当たる気配もないような“うんこ台”にも出現することがあるならば、どっちかわかりませんわね。そうなりますと、もう、本人のテンションの問題でしかないですね。勝手に期待をしたらよいでしょ?・・・ みたいな。


 カオスでは、このような液晶上での特定の演出や挙動について考察をする姿勢を「蟻の眼」と呼んでいます。「鷹の眼」と「蟻の眼」ということですね。他の何かの技術論のことは言いませんが、ホルコン系の技術論について思うことは、「蟻の眼」への執着が増せば増すほど、結果的に負ける割合が増えてくると考えているのですね。


 ようは、全体を見る「能力」や、全体についての「関心」が薄れてしまうリスクがあるからです。


 例えば、スロットのART機種でも、高確率モード専用の演出があるかと思いますが、「レインボー演出」や「100%=鉄板演出」などが出ない限りは、どんなに熱そうな演出が出ても、何事もなかったかのように、スルーをすることがあります。『高確率モードで、こんなのが出ても当らんのか!?』ってことは別に日常茶飯事の出来事ですわね。


 ですから、「この演出が出たら100%、当たりが近い!!」・・・ とか、ないのです。


 結局、普通に考えたときに、システムメーカーなどの戦術なのですよ。『もうちょっと粘ったら当るかもしれない』・・・ そう思わせたいがための演出がある、ということです。それに翻弄をさせられるのは個人の自由ではあるのですが、パチンコやスロットで負けるのが嫌なのであれば、考え方や対応方法を変えていくしかないということです。


 そうそう、いつか、北斗の拳のスロットが導入をされたときに、「スイカ・カウンター」なるものがスロットユーザーを手玉に取りました。スイカが揃うとカウンターが発動します。30回転くらいの規定回数でしたかね。最初は・・・ みなさんが喜んで回すわけです。もう、空き台を見ている限りで、「スイカ・カウンター」が発動をして捨ててあるような台はなかったくらいです。


 しかし、いつしか、「スイカ」くらいでは当らない、いや、余計に当たりにくくなっていると悟ったスロットユーザーが増えたのか、「スイカ・カウンター」が発動をした時点で即止めをしたり、何回転か回して捨てたりしてある台が目立つようになりました。


 「強チェリー」や「強ベル」なら様子を見てもよいが、「スイカ」は信用できない・・・ くらいの感覚が芽生えたのでしょう。そうです。出目攻略という分野があるにしても、そのくらいの信用度でしかなく、システムメーカーの戦術として織り込み済みである、ということですね。



.コウさんは、パチンコ業界の手先ではないのですか?


A.そうですね。手先でも手羽先でもよいのですが、迷えるパチンコユーザーのみなさんの味方ではありたいですし、結果的に、パチンコ業界の手先のような仕事をしているのかもしれません。これまでのカオスブレイクの表現の中には、どうしてもパチンコなどしないほうがよいみなさんに対してまで射幸心を煽っている側面がありましたからね。


 もちろん、他の似たような役割を持っている人たちと比べたら、かなりマシなほうではあるかもしれませんが、それでもパチンコ業界の宣伝になってしまっているところはありますので、今後も私たちなりの正しい努力や、表現の修正が必要になると考えています。


 ただ、私が本心で思うことは、現状のパチンコ業界ですかね。普通に考えて“異常”です。


 パチンコホールを作りすぎたのですね。戦後、まるで粘土細工のように作りすぎたのです。何気なく考えても、極端な事象に対しては、やはり、極端な反動がありますから、倒産をするパチンコ会社があるにせよ、これだけパチンコホールが乱立をしてきたということは、それだけ被害を受けたみなさんがあったということでしょう。


 今、なぜ「被害」という表現をしたかと申しますと、パチンコのホールシステムが完全に確率で制御をされているとは言い難いという思いが前提にあるからです。もちろん、「確率」で帳尻を合わせようとするシステムがあるのは認めます。


 しかし、普通に考えたときに、「当るかもしれない台」を狙うという発想は確率論でもありえる話ですけど、「当たるタイミング」を読むことができて、それで実際に異常な的中率を維持できているわけですから、「確率論」以外の前提を活用している事実はあります。


 そういう意味でも、カオスブレイクは挑戦をしてきました。「確率論」以外の要素で実績を残すという作業です。どうしても実績が必要だと考えたからですね。それから7年が経過をして、もう、十分すぎるほどの証拠を提示してきたつもりですが、それでも「パチンコ完全確率論」の否定をするだけのエネルギーがまだまだ弱いような気がしています。


 結局、パチンコホールのシステムが、「確率」以外の他の要素でも制御をされているのであれば、それを知らされずにパチンコやスロットをしているということは、ある意味で、「詐欺の被害にあっている」ということになりますからね。


 ただ、そこにどのような事実があろうと、別に気にされない人もあるわけですから、そこまで余計なお世話をする必要もないと考えています。普通にパチンコホールに通って、普通にパチンコをして、普通に負けて、普通に楽しんでいるようなみなさんがあったときに、別にそれでもよいと思うわけです。


 ですから、個々人の目的意識の違いによって、カオスブレイクがお役に立てることもあれば、そんなことはどうでもよいと考えてパチンコをされているみなさんには、何のお役にも立てない、ということです。


 ただ、普通に考えて、できるだけパチンコで負けたくない、負けられないと思う人たちが増えているのは事実でしょうから、そうした真剣さがある人たちが増えることによって、パイの取り合いにおける被害は出てくるかもしれません。それも自然の流れのようなものでしょうから、私たちはそこまで責任を取れないと思います。



.夏場になると、強烈に足が臭いおじさんがいて悩まされます。


A.はぁ。私もよい香りがするような人間ではないので、そのおじさんのフォローをしたい気持ちもあるのですが、ガチで強烈な臭いのお客さんの隣で打った体験はあります。


 もう、ごめんなさいって・・・ 思わず言いかけましたけどね。


 よう考えたら、謝ったところでその悪臭が消えるわけでもないので、結果的に、自分がその席から消えましたけどね。魔界ホールの場合は、当たったところで伸びないことが多いですから、そうした災難に遭遇をしたときには、そそくさと止めることができるのが利点です。


 あと、たまに見かけるところのコスプレですか?って言いたくなるような派手な服装のお姉さんですね。お姉さんそのものの風景はよいのですが、そう、香水ですか・・・ 香水やコロンでヤバイのがありますわね。


 もう、バルサンを炊かれているような感じのときがありますよ。わたしゃ、害虫か?って思うこともあります。いや、実際に頭が痛くなって丸一日、具合が悪かったこともあります。


 個人的にはですねぇ・・・ あまり臭いを気にするタイプではないのですが、せっかくですから私が耐えられないベスト3を作成してみます。

(1位) お姉さんの強烈な香水

(2位) おじさんを代表とする夏場の足の臭い

(3位) おばさんを代表とする厚化粧の臭い

 こうなりますね。いや、足が臭いのもダメはダメなのですよね。微妙・・・ 

 ただ、香水で強烈なものは、本当に頭痛になりますからね。後遺症があるのじゃないかって思うくらい萎えることがあります。ほら、たぶん、香水やコロンは化学成分でしょ? だからアレルギーのような抵抗があるのかもしれません。

 一方で、おじさんの足が臭いのは、自然から生み出された・・・ 天然成分ですからね。

 ダメですか?

 私もダメだと思いました。

 そういうことで、マスクかガスマスクを持参されて下さい。けっこう防げると思います。

 ただ、自分の周辺の空気が汚染をされていることに我慢ができないみなさんは、やっぱり、無念でもその場から去るしかないでしょうね。


 健康第一です。わざわざ臭い空気を吸わなくても、綺麗な空気を吸ったほうがよいからですね。



.激アツリーチがきたら心臓がバクバクして我を忘れます。たぶん、これが真剣でないと言われるところなのかもしれません。そうですよね?


A.はいはい。興奮をすることと真剣さとでは意味合いがちょいと違います。真剣に興奮をしている人もいるでしょうからね。


 パチンコで興奮をすることは悪いことではないのですが、それが足を引っ張って負ける原因になることが多いので、熱くなるよりも冷める方向に気持ちが向くほうが理想的です。大抵の場合は、熱くなって金を突っ込んでいるわけですからね。


 もう少し厳しく書きますと、パチンコは冷凍人間のように冷たい感情や考え方で取り組まなければ、たぶん、勝てません。冷静であればあるほど勝率や的中率が上がります。


 そもそも、パチンコで熱くなるということは、「当てたい」という方向に思考や感情が集中をしている状態であると思うのです。「当てたい」がために自分ができること・・・ それが極端になりますと、金を突っ込んで当たるまで回すような方向くらいしか思いつかなくなっているのです。


 ここなのですね。多くのパチンコユーザーのみなさんでも、ホルコン系のみなさんでも、「当てたい」という願望がどうしてもありますし、どこかにその気持ちが残っています。


 しかし、「当てたい」と「勝ちたい」は別物なのです。
それが公私混同のようにチャンポン状態になっているのです。

 当てたら必ず勝てるのなら、当てることだけに集中をしてもよいのですが、現実はそんなに甘くはありませんので、『当てるだけでは勝てない』こともあるわけです。いや、ホール環境が悪くなるのに比例をして、『当てるだけでは勝てないことが極めて多すぎる』という状況になります。


 ですから、自分の心の中でも頭の中でもよいのですが、自分は「当てたい」のか、「勝ちたい」のか、その自問自答をして頂きたいのです。


 さて、話を戻しまして、激アツリーチがきたら心臓がバクバクしますと・・・ たぶん、それは、当たるか当たらないかで興奮をされている状況だと思うのですね。そこで私が思うことは、どうせ興奮をされるのであれば、自分が勝てるか勝てないか、そこにそこ集中をして興奮をされて頂きたい、とうことです。


 今日、自分は勝って帰ることができるのだろうか・・・ ここにこそ、興奮をするくらいに意識を向けて考えるべきなのです。
例えば、主従関係という言葉があります。パチンコでそれを考えたときに下記のような関係になると思いますよ。


※「主」=「勝って帰ること」


※「従」=「当てること」


 長年とカオスにいらっしゃるみなさんでも、いつまでもここをクリアできない人があるかもしれません。このトピックを読まれてハッとされた人はそうです。主従が逆転をしていませんか。当たらないから勝てないのではないのです。当たっても伸びないから勝てないのではないのです。何台と当てても勝てないというのも違います。勝って帰ろうと真剣に考えていないから、中途半端な台でも「当てたい」がために打っているので負けるのです。ここは大事なポイントですね。



.「平均換金金額」を本気で意識するようになってから、たしかに焦りや暴走をすることが減りました。他のみなさんにも実践をして欲しいです。


A.おおっ! もう、本当に、パチンコでの短絡的な勝ち負けについては流動的なことが多いですから、どなたかが、『コウさん! 今日は50000発でした!!』とかでレシートを送って頂けるようなことがあっても、「どうせ次回には負けてしまう」のかなとか思うこともあったり、「もう、今月はパチンコに行かんほうがよいですよ」とか頼みたくなったりと、なかなか安心ができないというのが実情です。


 私も先日に聞いた話でビックリしたことがありまして、あの・・・ って書いたら失礼ですけど、そうロカまるさんが、昨年は+収支で完結ができたらしいのです。実力は十分にあるのに勝ったり負けたりとされていましたので、何が原因なのだろうと考えることもありましたけど、その好転理由のひとつが「収支アプリ」の導入をされたことだそうです。


 たぶん、アナーキーのみなさんの影響もあるでしょう。収支管理を“鬼”のように徹底されていますからね。


 それで、何気なく、ロカまるさんに、「平均換金金額はどのくらいですか?」と聞いたときに、11922円とはっきりと提示をすることができたのです。「ああ、だから変わったのだ」と素直に思いましたね。


 ここなのですよ。何の分野でもそうだと思いますけど、人間、いっぺん通りの努力ではどうしても“壁”にぶち当たることがあります。ボトルネックですね。ですから、そうした“壁”に激突をしたときには、違った角度からの努力で切り抜けなければならないこともあるわけです。


 パチンコでの短絡的な勝ち負けについては流動的なことが多いですから・・・


 先ほど、このような切り口で書きはじめましたように、本当に、「勝ち」や「負け」については、その日その日で完結ができないことがあって、やや長いスパンで考えなければどうにも「判断」ができないこともあるのです。


 しかし、「収支管理」や「自己分析」という概念は、その人の「本質」や「本当の実力」に直結をするような“モノサシ”になりますので、短絡的に勝ったり負けたりしている状況ではわからないことでも、数値化をされた「一定の平均値」を見ることで、その人の実力が丸見えになるということです。


 そこではじめて、「ああ、この人は大丈夫だな」と、安心もできますし、大丈夫なように見えていた人でも、危なっかしいところがわかれば、適切なサポートができるようになるのですね。


 そうしたことで、私もパチンコやスロットの技術論の伝達に悩んで来ましたけど、「収支表」を記録したほうがよいのは間違いがないのですが、どうしても負けが続いたときにはそれが嫌になりますね。


 パチンコの「収支表」はとくに三日坊主になりやすいことがあって、全国のパチンコユーザーのみなさんでも、きちんと収支表をつけている人は5%もいないかもしれません。だから、パチンコホールが儲かるのだと思いもします。


 それで考案をしたのが、「平均換金金額」でした。


 「投資をした金額」や「勝った金額」や「負けた金額」や「他の面倒な内容」などを書く必要もなく、ただ、「その日に換金ができた金額」を記録するだけです。
その「平均値」で自分の実力がわかるようになりますし、その範囲でやりくりをしていたら、パチンコで大きく負けることはありえません。

 簡単に言えば、「平均換金金額」の集計や合計とは、みなさんの「給料」のようなものです。日給でも月給でも年俸でもよいのですが、例えば、月給が20万円の人であれば、その月に20万円以上の支出をしていると生活が狂ってきます。普通に考えて、給料以上に金を使おうとしているので、何かがおかしくなりますわね。


 逆に、月給が20万円の人でも、ローンや生活費などのいろんな支出を差っぴいても、最大15万円でまかなう努力をしていれば、毎月5万円の貯金ができます。このような感覚で捉えて頂きたいです。


 つまり、パチンコで負けているみなさんとは、この「平均換金金額」を超えて投資をされているみなさんである、ということです。
収入以上の支出をしていたのでは、100%、金が余ることはありえません。当たり前の話でもあります。

 言葉を変えれば、「自分の実力を超えたもの」に挑戦をしているということですね。例えば、家賃5万円くらいのアパートに住んでいて、それでも生活レベルがきつい人が、売れている芸能人のように家賃50万円の高級マンションに住みたいと思っても、それは幻でしかないわけです。


「平均換金金額」=「あなたの実力」


「あなたの実力」=「それを超えて挑戦をすると負ける」


 簡単なことなのですよ。例えば、当地の魔界ホールの常連のおじさんやおばさん・・・ 「平均換金金額=2000円(1円換算)」くらいなものでしょう。まったく当たらない日も多そうですからね。そこで5000円、10000円、15000円と使っている人たちがあるわです。そこまで長い目で見なくても、勝てるわけがないですよね。そう、必然的に負けているということです。


 では、そうした常連のおじさんやおばさんたちが負けないためにはどのように考えたらよいのか?・・・ そうです、2000円以上の投資をしたらダメなのです。少なくても、「換金金額の平均値」が上がってくるまでは、2000円以上の投資をしたらダメなのですね。


 逆に、「換金金額の平均値」が下がることもあります。月間を通してホールの回収シーズンであったり、自分の体調やテンションが原因でどうにも切れ味が弱かったりと、6月なら6月だけも「平均換金金額」が下がることもありますね。5月は「平均換金金額=2000円」だったのが、6月は「平均換金金額=1600円」になっていた、ということもあります。


 そうなりますと、「自分の実力=1600円」なのですから、そこにピントをあわせるしかありません。その1600円で当てることができなければ、さらに平均値が下がってしまいます。


 そうです! ここでようやく「真剣さ」が生まれてくるのですね。

 適当にパチンコをする癖がある人は、どんどんと平均値が下がって行きますので、最終的にパチンコができなくなるのです。パチンコを辞めたくないが負けたくもない・・・・ 大いに悩んで下さい。必ず、どこかの地点で、「真剣さ」が生まれて来ますから。





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